教会にはいろんな教団だの教派が存在する。
タクシーの運ちゃんなんかに、「いっぱい教団とかあって、俺らにはわからへんわ〜」と言われちゃう。
でもそれは、教会の歴史がそれだけ長く、また流れが世界規模ででかいゆえでもある。
日本はその枝の先っちょみたいなものしか入ってこないので、なかなか理解されないところでもあるが。
実は私は五代に遡ってクリスチャンの家系に生まれた。
4代前の「八重」さんが一番最初のクリスチャンだったのだが、
小磯良平の家にステイしながら 神戸女学院の前身に当たる女学校に通い、
生きたクリスチャンとなる。
「私と結婚する人はクリスチャンでなければならないの」と言って、
八重さんは 曾祖父に洗礼を受けることを条件に結婚。
以来 向日の家の者は皆クリスチャンとなった。
それは「教え」られたからではない。
ものすごく新しく、力強く、本物のいのちを持っていたゆえに起きたことだ。
昨年のNHK大河ドラマ「八重の桜」を時たま見ながら、
うちの八重さんもよく似た熱い時代を生きたのだなあと胸ときめかせたものだった。
大好きな祖父は、戦前のホーリネスで育った。
当時のホーリネスは熱い。
ものすごく熱く、内容的には現代のペンテコステにまごうほどだと言われる。
祖父は大変優しく ジェントルで 確かに「ホーリネス」な人格であったが、
信仰は誰よりも真っ直ぐで美しく、家族さえもが「義人」だと口をそろえて言うほど本物の信仰者だった。
祖母は基督心宗と言い、日本文化と融合した「教養」を重視したグループにいた。
(この話はまたいつか書きたいと思う)
当時の祖母にとって、女性がそのような新しい教えを受け、
未来を開かれていく体験は強烈なもので、
彼女は本当に「全人的」に救われたのだった。
父は兄弟団の教会で救われた。
18歳の時 極寒の2月に岡山県の河内川で洗礼を受けたが、
一緒に20人の人たちが洗礼を受けたという。
父はずっとその時の様子を語り続け 「あれはひとつのリバイバルだった」とくりかえした。
この話もまた改めて書きたいものである。
母は鳥取の浦富海岸で生まれ ルーテルで洗礼を受けた。
私が岡山県で生まれ 幼少時代は主にルーテルの伝道所で育った。
青い目の宣教師が小さな家の教会に来てくれ、 教会とは何とステキで楽しいところだろうと思っていた。
大阪に引っ越した後は 日本キリスト教団にしばらく居た。
さらに祖父と子供達はJECヘ。
祖父にとってはJECは戦前のホーリネスに通じる教えと熱さを持っており、しっくりきたようだ。
当時の伝道師先生と熱く語りあっていたことを覚えている。
私は実に教団教派の雑種である。
しかもハイパーな雑種である。
叔父の奥様はカトリックの方である。
彼女の信仰にもただただ教えられるばかりである。
感謝な事に スペシャルハイパーな雑種なのである。
今回ケズィックコンベンションに一週間身を投じたが、
そこでは ホーリネス的「きよめ」が重要視される。
正直 JECでは「きよめ」のことはそう語られない。
しかし 今回とても感謝だと思ったことは、
私のハイパー雑種な感覚が さらに広げられるのかもという期待を抱けたことだ。
雑種だからそこに居ることも出来るし、
それ以上の教養を私は受けさせていただいているのかもしれない。
それは ものすごく素晴らしいことなのではないだろうか。
どこかのグループが どこかの世代が突出して力を受けている。
それはありえない。
神の国はひとつである。
全世代、全てのクリスチャンが 神さまから力を受けることが出来る。
神さまはさらに 橋を渡らせてくれるのだろうか。
きっとそうだと思える 。
タクシーの運ちゃんなんかに、「いっぱい教団とかあって、俺らにはわからへんわ〜」と言われちゃう。
でもそれは、教会の歴史がそれだけ長く、また流れが世界規模ででかいゆえでもある。
日本はその枝の先っちょみたいなものしか入ってこないので、なかなか理解されないところでもあるが。
実は私は五代に遡ってクリスチャンの家系に生まれた。
4代前の「八重」さんが一番最初のクリスチャンだったのだが、
小磯良平の家にステイしながら 神戸女学院の前身に当たる女学校に通い、
生きたクリスチャンとなる。
「私と結婚する人はクリスチャンでなければならないの」と言って、
八重さんは 曾祖父に洗礼を受けることを条件に結婚。
以来 向日の家の者は皆クリスチャンとなった。
それは「教え」られたからではない。
ものすごく新しく、力強く、本物のいのちを持っていたゆえに起きたことだ。
昨年のNHK大河ドラマ「八重の桜」を時たま見ながら、
うちの八重さんもよく似た熱い時代を生きたのだなあと胸ときめかせたものだった。
大好きな祖父は、戦前のホーリネスで育った。
当時のホーリネスは熱い。
ものすごく熱く、内容的には現代のペンテコステにまごうほどだと言われる。
祖父は大変優しく ジェントルで 確かに「ホーリネス」な人格であったが、
信仰は誰よりも真っ直ぐで美しく、家族さえもが「義人」だと口をそろえて言うほど本物の信仰者だった。
祖母は基督心宗と言い、日本文化と融合した「教養」を重視したグループにいた。
(この話はまたいつか書きたいと思う)
当時の祖母にとって、女性がそのような新しい教えを受け、
未来を開かれていく体験は強烈なもので、
彼女は本当に「全人的」に救われたのだった。
父は兄弟団の教会で救われた。
18歳の時 極寒の2月に岡山県の河内川で洗礼を受けたが、
一緒に20人の人たちが洗礼を受けたという。
父はずっとその時の様子を語り続け 「あれはひとつのリバイバルだった」とくりかえした。
この話もまた改めて書きたいものである。
母は鳥取の浦富海岸で生まれ ルーテルで洗礼を受けた。
私が岡山県で生まれ 幼少時代は主にルーテルの伝道所で育った。
青い目の宣教師が小さな家の教会に来てくれ、 教会とは何とステキで楽しいところだろうと思っていた。
大阪に引っ越した後は 日本キリスト教団にしばらく居た。
さらに祖父と子供達はJECヘ。
祖父にとってはJECは戦前のホーリネスに通じる教えと熱さを持っており、しっくりきたようだ。
当時の伝道師先生と熱く語りあっていたことを覚えている。
私は実に教団教派の雑種である。
しかもハイパーな雑種である。
叔父の奥様はカトリックの方である。
彼女の信仰にもただただ教えられるばかりである。
感謝な事に スペシャルハイパーな雑種なのである。
今回ケズィックコンベンションに一週間身を投じたが、
そこでは ホーリネス的「きよめ」が重要視される。
正直 JECでは「きよめ」のことはそう語られない。
しかし 今回とても感謝だと思ったことは、
私のハイパー雑種な感覚が さらに広げられるのかもという期待を抱けたことだ。
雑種だからそこに居ることも出来るし、
それ以上の教養を私は受けさせていただいているのかもしれない。
それは ものすごく素晴らしいことなのではないだろうか。
どこかのグループが どこかの世代が突出して力を受けている。
それはありえない。
神の国はひとつである。
全世代、全てのクリスチャンが 神さまから力を受けることが出来る。
神さまはさらに 橋を渡らせてくれるのだろうか。
きっとそうだと思える 。
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by spiritualsong
| 2014-03-05 19:48