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Gospel Singer 向日かおりの みちくさ日記


by spiritualsong
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受肉

あたりまえのことなのだが、
今さらのようなのだが、しかし大きなことに気が付いている。
受肉したところでしか、人間は話せないし、
本当のところは伝わらない。
すごく大きな課題だ。

正直に言うけど、教会の牧師先生のメッセージも
受肉していないところはすぐわかる。
受肉したレベルの話はとてもすごい。。。とても。
でも、していないところは悲劇である。
欠損である。(w
その師の欠損が賄われるまで、その足下にいる者は
身動きも、発言も出来ないというのは、教会の大損失である。

これは牧師先生への否定では全くない。
むしろそれ程の責任を、一個人が負わなければならないのか
という根本的疑問だ。
はっきり言ってほとんどの人間が無理なのだ。
聖書全部を受肉できる人間がいるだろうか。

わかっておられる先生ほど謙遜だ。
気の毒を通りこして、本当に大丈夫ですかと訊ねたくなる程。
そういう方々は、むしろ人に踏まれる役目を辞さない。
かえってこれも凄すぎる。
誰も真似が出来ない。

牧師先生が普通の人になれる。
そうあって欲しい。
普通の人も小さな牧師になれる。
そういう時代が来て欲しい。
みんなで欠けたところを補い合う。
そうでなくて、どうして人は立つことが出来るだろう。

受肉できていない自分にいつも気が付く。
そういう時、私は自分の駄目さ加減をいろいろな人に打ち明けてみる。
その方が安心する。
なぜなら「赦されている」と感じるからだ。
そうして、プールの壁や水底の感覚をたよりに泳いでいくように、
また前に進む。

自分は受肉できていないところがあまりに多いと思う。
そうすると、人の前に立って何らかの発信源になることが出来ない。
そう思ってしまう。

しかし、人と組み合わされること。
赦されていることに安息すること。
いつも自分の盲点に対し、謙遜でいられること。
すなわち人と生きている中でなら、進んで行ける。
その中で、受肉も悟りも少しづつ進む希望がある。

「神は愛なり」というたった一言で、涙が流れる。
心が溶けてしまう。
そういう一言を私は待っているし、
そういう存在に、こんな自分でもいつかなれるかもしれないと
思うことが、弱く力無い自分への、本当の希望。
いつか、と思いながら、弱い足を進めている。
by spiritualsong | 2007-03-27 11:19