Gospel Singer 向日かおりの みちくさ日記


by spiritualsong
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希望

先日のコンサート。
実は名前は明かさないが、大変意味の大きな教会でのコンサートだった。

カルトとして暴かれたS教会が京都にある。
その教会にの元牧師の悪事を公表し、戦い、信徒の人たちのマインドコントロールを解き、脱会させ、導き、新しい教会を建てた牧師が居る。

ニュースは惨事を興味本位で騒ぎ立てるだけだ。
しかし、その方は、本物の「救出」をした。

その教会で賛美させていただいたのだが、私にはその賛美の仕事より、
その先生とお話しさせていだいたことの方が、幾倍も、幾千倍も尊いことだった。

ニュースで聞いた以上の真実、それが目の前にあった。
現実に苦しみにあった人たちが目の前にいた。
しかし、その場に感じたことは、「謙遜さ」だった。
自分達の人生が粉々にされた。
全てが奪われ、全てを無くし、間違えた指導者の元にいた、
たとえようのない悲劇を味わった。
しかし脱会した人たちは、自分達の過去に誤りがあったということを
認めることが出来たという。
これを認めることは、本当にすごいことだという。
そうだ、人生かけたものの方向転換ができるのだ。
だからそこには、見たことの無いほどの「謙遜さ」を感じたのだ。

もっとすごいと思ったことは、それだけの苦汁を強いられたのに、
彼らはキリストを離れなかったことだ。
私は自分自身がクリスチャンでありながら、思わず心の中で尋ねていた。
「なぜ・・。」と。

それだけイエス様の存在は、人為的行為や言葉をこえて、
真実に一人一人へ直接臨んでくださるものなのだ・・・。
そう思った。それはとても大きな感動だった。

今彼らを導いている牧師先生は、この事件の前、自分のこれから行くべき道を
神様に訊ねていたそうだ。
シカゴから大きな招聘があったり、神学校から話があったりしたが、
どれも神様の導きではないと思い、断った。
そのあとに、S教会の問題を漏れ聞いたという。
師は、神様に問うたそうだ。
「この事実を暴いてもいいのでしょうか。この教会の悪事が世間に露にされれば、
神様のお名前や教会に傷がつくのではないでしょうか。」
すると神様はこう答えられたという。
「私の栄光は私が守る。あなたはやるべきことをやりなさい。」

私はそれらの話を直にお聞きし、驚き、深く深くその先生に感謝した。
同時にそこまで神様の声を聞き、自分の益のためではなく、
神様と正義と真実のために、また人間の魂のために立てることを、
限りなくすごい思った。
これが自分を捨てて生きている献身者の姿なのだと思った。

あまりに尊い姿だった。
そして真実な希望というものは、現実に「生まれる」ものなのだということを知った。


後述:師は、サイト内などでの報告を奨励してくださいました。
   大きな社会問題だったS教会の問題が、今、このように光に向かっていると
   いうことを知っていただけることはうれしいと。
   しかしWEBの性質上、実名をあげることは控えさせていただきました。
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by spiritualsong | 2006-09-29 08:53

献身

この頃とみに思うな。
献身した人間とそうでない人間には、やっぱり大きく差が出る。
自分は学校には行ってない。
でも、神様に自分を献げて生きよう。もっと。。。
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by spiritualsong | 2006-09-28 00:41

御手

昨日、ある友人二人と、お祈りの会をスタートすることにした。
人数を問わず、本当にお祈りをしたい人で集まろうと語り合い、
念願かなっての第一回目だった。
そこに、ある牧師先生がふらっと現れた。
実はその先生、私たちの小さなこの祈り会を本当に理解し、
参加したいとおっしゃっていた方だった。
まだスタートの段階で、軌道に乗っていないからと、お誘いすることを
遠慮していたが、先生はそこに現れていた。驚きだった。

神様の御手を感じた。
なんという感謝なことだろう。
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by spiritualsong | 2006-09-27 11:45

Healing in 奈良

今日は正直、疲れ果てていた。
というか、自分がどう疲れていることさえわからない状態だったのだが、
突然、足は奈良へ向かっていた。
『このままではいけない。自分の中の何かを方向転換しなければ。』
そんな気持ちに突き動かされていた。

途中、王寺で降りた。
三郷あたりから見える大和川が目にとまったからだ。
川縁に降りると、生活排水による小さな泡が目立った。
それでも水はまだ透明だった。大きな鯉が水面に跳ねた。
白鷺、鴨、彼岸花、てんとう虫、バッタ、あかとんぼ。
川は生きていた。
足を水につけてみた。
ひんやりと気持ちがいい。
そのまま小一時間、太陽の光を浴びながら、川に足を浸していた。
体の芯に太陽の光がしみ込んできた。
一体何年ぶりなんだろう、こんな感覚は。。。

奈良駅についたが、時はすでに遅く、心が赴く緑の自然の中に入っていくには
時間切れ。通りかかった志賀直哉の旧居に、入ってみることにした。

感動した。そして驚いた。
そこにあったのは立派なサンルームと食堂。
それは友人知人をもてなすために作られたサロンだった。
ここで当時、文学や芸術を愛する人たちが集まり、会話に花を咲かせたのだ。
さらに彼の家庭観が、その家全体の設計に現れていた。
自分は志賀直哉のファンではなく、残念ながら正直何も知らない。
しかし、家の間取りにも現れている彼の、進歩的な家族観、人生観は、
ある意味現代人よりも、ずっと的を得たものを持っていると思った。
ほんの少し垣間見ただけだが、驚くと同時に胸のすく思いだった。
(実際の人間関係ではトラブルも多かったそうではあるが。)

このサロンを見ながらつくづく思った。
そう、ここが教会だったら。
みんなが集まってきて、時間を忘れ、心を割って話す。
私はこんな教会が欲しかったんだ・・・。

旧直哉邸の前にある、たたずまいの良い喫茶店で抹茶をいただきながら、
聖書を読んだ。
白い心で聖書を読んだ。
何かがしみ込んでくるようだった。

夕暮れ時、その近くにあった、あたたかな可愛らしいお店に目がとまった。
手作り陶器の店。
誰も居ないのかな、と思ったら、突然ベージュ色の猫がカウンターの上に
飛び上がった。びっくりした。
まるで店番は私です、というかのように、カウンターに座っている。
猫が陶器のお店に。物は壊れないの?

まるで物語に出てくるかのような、この猫の姿に見とれていると、
お店の女主人さんが帰って来られた。
猫は陶器の台の上を悠々と歩く。でも、何一つ落とさない、壊さない。
その静かで不思議な空間に、しばし引込まれていたのだが、
はっと気が付くと、私は涙をこぼしていた。
猫は私のひざの上でごろごろと喉を鳴らし、
まるで私たちの会話のあいずちを打つかのように、にゃあと鳴いた。

自分は疲れていたのだ。
知らなかった。
奈良のきれいな空気と、昼間に浴びた太陽が、自分を正直にしてくれたのだ。

女主人さんは、お茶とお饅頭をごちそうしてくださった。
なんと彼女はクリスチャンだった。

深い会話になった。
『昔』の人が持っていた、本当に人間らしい良いもの。
それらを継承せず、安易に流れ、去らせてしまった『これまで』。
そして、警鐘を鳴らしながら、新旧を見据えた『これから』。
それは、まず自分の生き方からだと。

更けていく秋の夜、昼間電車に飛び乗った時の思いを、
神様はみんな知っていて、包むように応えてくださっていると思った。

帰り道には星がまたたき、奈良の山がもたらす夜風は心地良かった。
また来よう。
今度はもっと早い時間に訪れて、山を歩こう。

〜あんず舎〜
http://www1.kcn.ne.jp/~anzuya/

こちらもかわいいです。
スクロールしたり、ねこ展のページに飛んだりして楽しんでくださいね。
http://hibi-iro.web.infoseek.co.jp/nekoiro8-041.htm
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by spiritualsong | 2006-09-25 01:14

Be Still

今日はなんて空が青く抜けていたことだろう。
見上げれば空は澄みきって、雲ひとつ無かった。

電車の窓から川を見たちょうどその時、鳥が空から舞い降り、
はばたきながら水面に降りた。
何でもない瞬間だったが、神様ってなんて美しいものや、
時間をお造りになるのだろうと思った。
残念ながら川の水は汚れていたが、それ以上に神様の創造は美しい。

母が『神様の鼓動を聞く』というテーマで、友人たちに話をしたという。
そのあらまし。母は4年前にアメリカを旅行した時、『Be Still』という
聖書の言葉を見て、ずっと心に残っていたという。
この『Be Still』は、むずかる赤ちゃんをあやす時にも使うと、宣教師が教えてくれた。
神様が私たちに静まることを教えてくれる時というのは、そのように麗しいもの。
赤ちゃんがだっこしてくれるお父さん、お母さんの鼓動を聞くように、
私たちも神様の胸に抱かれていると、神様の鼓動を聞くことが出来るのだと。
静まることは、神様の鼓動を聞くことなのだと。
そんな話をしたのだと、母は語った。

なるほどな。
静まることは神様の鼓動を聞くこと。
ジェフが言ってた。「イエスさまの一番弟子だったヨハネは、
イエスの鼓動を聞くことができた人物かもしれない。」と。
ヨハネはうらやましいな、と思っていたけど、
なんだ、私たちもそのうらやましい人の中に入れてもらえるのだ。
と、思った。
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by spiritualsong | 2006-09-24 00:04

水質調査

国土交通省の発表した2005年の全国の1級河川水系の水質調査。
ワースト一位は大和川。なんと自分の地元の川だった。
地元を流れる河川でありながら、この大和川を覗き込むことは長らく無かった。
今どんな状態なのか、情けないことに自分の目で確認したわけではないが、
そのbadなニュースを見た時、即座に思ったことがある。
約20年前、ここで洗礼を受けたのだったと。

その日は7月終わりの気持ちのいい快晴の日。
川はきらきら光を反射していた。
普段の洗礼式は室内だったが、アメリカから帰ってきていた伝道師先生の息子さんが、
せっかくの洗礼式だから川で行おうと提案し、
上流の水のきれいなポイントを探してきてくださったのだ。

特別な計らい。
河原にゴザが敷かれ、簡易テントが用意され、自然の中での洗礼式。
ざぶんと水につかると、水面を透過する光が揺れ、
水泡がわき上がり、きらきらとまぶしかった。

その美しかった水が、今はワースト一位である。

生まれ故郷の岡山県でも、子供の時泳いだ川に、今やゴミ袋が泳ぎ、
母の里、鳥取の海岸でも、海水浴場に溢れているのはやはりゴミや
大量発生したクラゲであったりする。

人間は恐いものだ。ゆっくりと起きる変化には特に疎い。
本当だかどうだか定かではないが、カエルを鍋に入れてゆっくりゆっくり温度を
上げると、逃げないで、そのまま茹だってしまうという話を聞いたことがある。

周りをよく見ていること。
そして子供たちに残すもの、それをいつも考えること。
そうでなければ、人間て容易に流されるな。
そんな事を考えた。

水をきれいにしよう!!
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by spiritualsong | 2006-09-22 21:22

浮かぶ

何をやっても空振りの日がある。
というか、どこをたたいても、休業の札がかかっているような感じの時がある。
そんな時は仕方がない。
焦る気持ちもあるが、水の上に浮かぶように、一度脱力。
・・・浮かぶ。

神様はなんでもお出来になる。
私が出来なくても、神様にはお出来になる。

やりたいことがいっぱいあって、イメージが山ほどあって、
神様の国のためにやりたくてやりたくて、仕方がない。

出来ない現実や、制約や、環境や。
でもそんな心の檻からイリュージョンのごとく脱出し、
神様には出来る、そちらの「実際」にシフト。

シンプルに浮かぶ。
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by spiritualsong | 2006-09-22 00:13

ちょっと久しぶり

PCは生き返ったのですが、自分がネット環境下にいなくて、
なかなか書けませんでした。でもまた今晩から泊まり人生です。(w

昨日、一昨日目の当たりにした事は、とても深かった。
どう書こうかな、どう表そうかな、と思うけど、
言葉にするのが難しい。

深い話って難しいね。
公にはできないことが、本当はものすごい真実の鍵を握っている。

でもわかったことは、人には評価されないところで、
神様の使命を本当にやり続けている人がいるということ。
自分の益や、得や、外からの評価とは関係なく、
神様のおっしゃるとおりのことをして来た人がいる。

そんな人を見ていると、本筋がきりっと通っていて、
流されない正義を持っている。
強い。でも豊かだ。

さて、業務再開。
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by spiritualsong | 2006-09-19 11:29

夜更かし

もう朝方です。が、ぷちうれしい。
HDを交換した。ら、今まで不調だったG4ががぜん早くなった!!
へたっていたバッテリーも交換。
新しい気持ちだ。
本当に交換して良かった。

いろいろな人と会うとつくづく感じる。
愛が人を建てあげる。
理屈じゃないな。

今日も暖かい電話をもらった。
励ましの言葉やメールをもらった。
本気になって関わってくれる人たちに会った。
ものすごく恵まれていると思った。

人生にはいろんなことがあるけれど、
移り変わる風景の中で見えてくる、ずっと変わらないもの。

信仰と希望と愛。。

うれしいな。
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by spiritualsong | 2006-09-16 04:10

秋の風

また妹の家に転がり込んでいます。
考えたいこと、やりいこと、山のようなのに、進まない。
じれんまもありますが、窓の外からは涼やかな秋の風。
猪名川の自然の中だからなのか、風がきれいな気がします。
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by spiritualsong | 2006-09-14 10:24