山陰ミニツアー報告 その一 島根編
2007年 11月 28日
11/22(木)、関西から一路島根へ。
途中大小のミスやアクシンデントをくぐり抜け(汗)、
宿舎である『千畳苑』に着いた時には夜九時を回っていた。
夜の海から豊かな潮騒が聞こえてくる。
「おいしい魚を食べ逃したなあ」と苦笑しながらエンジニアの
相方と共に宿舎に入ると、待っていた牧師先生の顔に見覚えが。
電話では「江津教会の鄭 盛範(ちょん そんぼむ)と申します。」と、
何食わぬぞぶりで受け答えしておられたが、顔を見ると、周知の顔だ。
「なあんだ〜、知ってますよ〜(爆)!」
もう十数年以上前になるが、関西のキリスト教会系の様々な催しで、
いつもお世話になっていた方だった。名前は存じ上げなかったのだが。
道理でコンサートの話もさくさく進み、きれる方だなあと思わされた筈だ。
このツアーの仕掛人でいらしたが、なるほど、だからコンサートメイキングは
お手のものだったのだ。
先生の顔を見てほっとしたと同時に思ったのは、
『ああ、あの時走り回っていた人たちが、ひとつの教会をまかされる
牧師先生になっておられるのだ。』
という頼もしさとうれしさだった。
翌日、23日。窓から広がる絶景!
思わず浜辺に散歩に出た。
山陰の海は、母が鳥取出身だったのもあって、なじみを感じる色だ。
写真にはのっていないが、女性サーファーの人達が大会に向けて
練習をしていた。寒い中なのに、すごい。
鄭先生には素晴らしいご家族がいらっしゃった。
写真は長男の創太(チャンテ)くん。(間違えてないよね!?汗)
すっごくかわいくて元気な子供達だ。
第一いい名前だよな。
おしむらくはご家族の写真を撮りそこねたこと。
このブログ、書き込みは少ないが、実はすごくたくさんの方が見てくださっている。
鄭先生ご一家の元気な姿は、本当は当時の仲間の皆さんにとってうれしい筈なのだ。
前日の夜食べ損ねたお魚のかわりに、奥様が心をこめた手料理を!
さわらのお刺身をはじめ、4種類のお魚料理が!
その日海からあがったお魚ばかりのお料理だった。
最高だった。
で、コンサートの写真は!?
実は本人は歌っているので撮れない(笑
さらに、送っていただいたコンサート後の写真、画像が重くてこのブログに
載らない(号泣!)
この埋め合わせはまた後日!ということにして、足早に報告の続き。
この立派な書。江津教会の一室にかかっていたのだが、
「これを書かれたのは、加藤昇という牧師先生で、
この先生の書に影響を与えた人がいます。」
と、鄭先生が話はじめた。
「その人の名前は向日寿(ひさし)さんです。」
ええ!?わたしのおじいさん?
加藤師は岡山県の、今で言う真庭市におられたことがあるという。
実はこの後行く予定にしていた『河内教会』の牧師先生でいらっしゃり、
当時同じ真庭市に住んでいた祖父と関わりがあったのだ。
書をたしなんでいた祖父に、ある方の墓碑を依頼したところ、
「墓碑は牧師の書くものです」と断られ、そこから一念発起して
書を学ばれたという。その記述が自伝に残っているのだ。
その字を見ながら、時を越えた大きな感動に包まれた。
しかしその記述に目をとめ、覚えて下さっていた鄭先生も、
すごい方だと思った。
この書の存在は、また次回の河内教会につながるのです。〜つづく〜
途中大小のミスやアクシンデントをくぐり抜け(汗)、
宿舎である『千畳苑』に着いた時には夜九時を回っていた。
夜の海から豊かな潮騒が聞こえてくる。
「おいしい魚を食べ逃したなあ」と苦笑しながらエンジニアの
相方と共に宿舎に入ると、待っていた牧師先生の顔に見覚えが。
電話では「江津教会の鄭 盛範(ちょん そんぼむ)と申します。」と、
何食わぬぞぶりで受け答えしておられたが、顔を見ると、周知の顔だ。
「なあんだ〜、知ってますよ〜(爆)!」
もう十数年以上前になるが、関西のキリスト教会系の様々な催しで、
いつもお世話になっていた方だった。名前は存じ上げなかったのだが。
道理でコンサートの話もさくさく進み、きれる方だなあと思わされた筈だ。
このツアーの仕掛人でいらしたが、なるほど、だからコンサートメイキングは
お手のものだったのだ。
先生の顔を見てほっとしたと同時に思ったのは、
『ああ、あの時走り回っていた人たちが、ひとつの教会をまかされる
牧師先生になっておられるのだ。』
という頼もしさとうれしさだった。
翌日、23日。窓から広がる絶景!
思わず浜辺に散歩に出た。
山陰の海は、母が鳥取出身だったのもあって、なじみを感じる色だ。
写真にはのっていないが、女性サーファーの人達が大会に向けて
練習をしていた。寒い中なのに、すごい。
鄭先生には素晴らしいご家族がいらっしゃった。
写真は長男の創太(チャンテ)くん。(間違えてないよね!?汗)
すっごくかわいくて元気な子供達だ。
第一いい名前だよな。
おしむらくはご家族の写真を撮りそこねたこと。
このブログ、書き込みは少ないが、実はすごくたくさんの方が見てくださっている。
鄭先生ご一家の元気な姿は、本当は当時の仲間の皆さんにとってうれしい筈なのだ。
前日の夜食べ損ねたお魚のかわりに、奥様が心をこめた手料理を!
さわらのお刺身をはじめ、4種類のお魚料理が!
その日海からあがったお魚ばかりのお料理だった。
最高だった。
で、コンサートの写真は!?
実は本人は歌っているので撮れない(笑
さらに、送っていただいたコンサート後の写真、画像が重くてこのブログに
載らない(号泣!)
この埋め合わせはまた後日!ということにして、足早に報告の続き。
この立派な書。江津教会の一室にかかっていたのだが、
「これを書かれたのは、加藤昇という牧師先生で、
この先生の書に影響を与えた人がいます。」
と、鄭先生が話はじめた。
「その人の名前は向日寿(ひさし)さんです。」
ええ!?わたしのおじいさん?
加藤師は岡山県の、今で言う真庭市におられたことがあるという。
実はこの後行く予定にしていた『河内教会』の牧師先生でいらっしゃり、
当時同じ真庭市に住んでいた祖父と関わりがあったのだ。
書をたしなんでいた祖父に、ある方の墓碑を依頼したところ、
「墓碑は牧師の書くものです」と断られ、そこから一念発起して
書を学ばれたという。その記述が自伝に残っているのだ。
その字を見ながら、時を越えた大きな感動に包まれた。
しかしその記述に目をとめ、覚えて下さっていた鄭先生も、
すごい方だと思った。
この書の存在は、また次回の河内教会につながるのです。〜つづく〜
by spiritualsong
| 2007-11-28 14:21