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Gospel Singer 向日かおりの みちくさ日記


by spiritualsong
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言語

今日は月曜日。
ゆっくりできる。
今のうちに休養、読書。

日本語の言語について考えてた。
ジェフさんが、「ワーシップリーダーの働きはbutler=執事だ。」
と言った時、多くの人が反応できなかった。なんでだろう?
butlerも執事も、日常的ではないからだ。

感謝なことに私の場合はbutlerという響きの方が、執事と翻訳
されるより、ポンとひざをたたくことが出来た。
その言葉を聞いただけで、ワーシップリーダーの働きが立体的に
浮かび、すとんと落ちて来た。

しかしそのbutlerという響きに伴う最も大きな記憶は、子供の時
見たアニメの『アルプスの少女ハイジ』だった。ロッテンマイヤー
女史が、「バトラー!」と大声で叫んでいた、そんな記憶。
そんなレベルであっても、子供心にお屋敷には召し使いのリーダー
がいるのだ、ということがわかった。それだけでもありがたいことだ。

ワーシップの話の時、ジェフにbutler=執事という言葉を使われて、
私の中では始めて教会の中にある『執事職』と何かが繋がった。
『執事職』は実際に私の教会でも大切な役目を果たしているのだが、
本物のbutler達がいる国の、その言語の持つ生きた意味に対し、
日本では何かとても曖昧としていると感じる。

誰だったか覚えていないが、有名な詩人が、「翻訳した詩を読む
のは、花嫁のベールの上からキスをするようなものだ」と言った。
これは本当にひしひしと実感する。

聖書の『言葉』の中に、とにかく日本人にとって日常の実感の
希薄なものが多い。植物、地名、お祭り、人名も自分にとっては
未だ英語の方がファミリアである。ダビデさんにはまず会わないが、
デイビッドさんの名を英米の大きなストリートで叫べば、5人は
振り返ってくれるだろう(笑。

このように小さなことであっても、自分の中にある『実感』に
到達するまでには、残念ながらとても時間がかかることを経験し
続けている。でもその時間を感じるからこそ、誰かにイエスさまを
伝える時は『実感』を伴う歌にしていきたいと心底願う。
自分の力では言語レベルで理解してもらうのが難しいと思うからこそ、
神様にいただいた『実感』そのもの、リアリティーを伝えたい。

だからbutlerを伝える時、私は説明ではなく、ロールプレイにする。
実際に主人とbutlerの役を演じ、実感を持って、butlerの仕事と、
その『喜び』を体感してもらう。
butlerはうきうきするのだ。ご主人の心を誰よりも知っている。
ご主人のやりたいことを、自分が代わって遂行する。
なんと心が高鳴ることだろうか。お客さまをお迎えした時、
自分を出すことはない。役目を果たし、同時に上手に消える。
主人とお客さまとの会話がうまくいくことを願い、喜びのうちに
自分は消えるのだ。そのわくわく感。嗚呼、・・・butlerは
幸せなのである。お客さまが帰ったあともbutlerは主人と語り合う。
さらにどうしていったらいいのか、その時ご主人の心に一番近い
のは自分なのだ。butlerのこの幸せは、アタマで理解するものでなく、
やはり実感するものだと思う。

さらに言えば、『福音』という言葉も、自分にとっては何かの箱に
体よく収まっているような言葉だ。『good news』の方がよくわかる。
おいおい。。。(笑
でも、そのような自分の実感の裏付け中に、ある『歌』があったのを
思い出す。高校生の時、合唱部で歌った黒人霊歌の『good news!』。
すごく好きだった。跳ねる、躍動感、高まり、他にない力。
その時歌の中で連呼した「good news!」というはじけた感覚が、
私の実感に結びついている。

バッハもそうだ。ヘンデルの歌も。
思い出せば、自分の実感の体験の中に、深い根や文化を伴う、
生きた本物の『命』がある。

それを今の日本にもってくるには、どうしたら良いのか。

まず自分の実感から。

何かの形で続く。
by spiritualsong | 2006-12-04 14:03