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Gospel Singer 向日かおりの みちくさ日記


by spiritualsong
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グッドサマリタン

聖書の中にグッドサマリタン=良いサマリア人さんのお話が出てくる。
当時のユダヤ人からすれば礼拝の方法、礼拝の場所が違う、今で言えば
異端みたいに思われていたかなと思う。
みんなそこを通らない。
でもイエス様はお通りになった。
みんなその人たちが嫌い。
なのにイエス様は「良いサマリアのひと」のお話をされた。
きらいな相手に助けてもらって、お世話してもらうというお話なのだ。

強盗にやられて傷ついた人が倒れていた。
祭司も、レビ人(神殿で仕えたり教えたりした人)も、通りがかったのに助けなかった。
でも、ユダヤ人とけんかしていたサマリア人は、
「かわいそうに。」と思って助けた。

「かわいそうに。」この心って、とっても大切だなあ。
振り返ってみれば、昔むかし、自分を助けてくれた人たちの多くは、
私を助ける謂れなどない人たちだった。

自分を助けてくれた人。
その人たちは、正直言って割の悪いことばかりしていた。(w
時間ばかり使って、自分のものになるものは一つもなかった。
相手が元気になって、自分のもとを飛び出して行くお手伝いをするからだ。

でも、でも、そこには命がある。
感謝がある。
祝福がある。

「かわいそうに。」という心って、すごく大切だ。
このサマリア人は、ただこの単純な良心に従った。
イエス様はこのたとえをどこに使ったか。
「どうしたら永遠の命を持つことができるか」という質問に対してだった。
このサマリア人は、教理や教義を変えたり、改心したわけではなかった。
しかし隣人には目が開かれていたのだ。

昨日はある方とエルサレムの平和の話になった。
同じモーセ五書を起点にするユダヤ教、イスラム教、キリスト教。
人間に神様の大きな働きがわかるわけではない。
しかし、まさしくエルサレムには、本来目を開くべき隣人たちが
お互いの傍らにいるのではないか。
心の中でそう思った。
by spiritualsong | 2006-10-02 14:52